未払い残業代請求訴訟の増加

Google 検索で「未払い残業代請求」と検索すると、数多くの法律事務所がリスティング広告を出稿していることが確認できます。
その内容を見ると、「着手金無料」「完全成功報酬」という宣伝文句を並べるものが多くみられ、また、どの程度の残業代を請求することができるのかを自動的に計算するシステムを掲載しているものも多くみられます。

我々弁護士の業務は、弁護士自身が資料を読みこみ、請求の当否を検討して実際に書面を作成する、といった意味で労働集約型産業に分類されるといえます。

そのような労働集約型の仕事において、「着手金無料」「完全成功報酬」での対応ができ、且つそれを高額の広告費をかけて広告宣伝できるのは、そのような集客の手法を採ったとしても採算が合うためです。

すなわち、高い確率で勝算が立ち、勝った場合の成功報酬がそれなりに見込めるからに他なりません。

未払い残業代請求訴訟について多くの広告宣伝がなされるようになった理由には様々な要因があります。

未払い残業代請求の広告が増えた理由の一つは過払い金請求訴訟の収束です。

一時期、過払い請求に関する広告宣伝がテレビ、ラジオ、インターネット上で盛んに行われていましたが、現在ではかなり数が減っています。このように過払い金請求訴訟を主として扱っていた法律事務所が過払い金訴訟に代替するものとして着目したのが未払い残業代請求ということです。

未払い残業代請求の広告が増えた理由のもう一つは、未払い残業代請求の勝訴可能性が高いことが挙げられます。
我が国においては、残業が雇用調整手段として一般的に用いられ、且つ労働時間管理が厳格になされていない中小企業が多いといえます。
むしろ、残業代請求に備えて勤怠管理を厳格に行っているという中小企業の方が圧倒的に少ないといえるでしょう。

他方、現代においては従業員の行動履歴を示す証拠(データ)は無数に存在しており、従業員側がそれらのデータを根拠に労働時間として企業が想定もしないような時間を主張した場合、企業としてそれに対する有効な反論をなし得ないという場面が少なくありません。

例えば、入退室の記録をICカードで記録している企業があるとします。
満員電車を避けたいという理由で、毎日始業時刻の9時より2時間早く出社し、毎日朝ごはんを食べながらyou tubeを見てり新聞を読んでいた従業員が、合間合間に送信していた業務上のメールやICカードの記録を証拠として毎日2時間早出残業をしていたとして、過去2年分の残業代請求をしてきたというケースを考えてみましょう。

このような事例は多くみられますが、どれだけの企業が「早く出社している2時間は労働時間ではない」ということを立証できるでしょうか(ここでは立証責任の点はさておき、ICカードに記録された時間が労働時間ではないことを裁判所に対して説得できるか、という程度の意味に考えてください)。
多くの企業はこの2時間が労働時間ではなかったことについて裁判所を説得することができず、敗訴すると思われます。

故意にサービス残業を強いているとか、残業代を労基法に従って支払っていない、という企業は論外ですが、明示的に業務を命じておらず、まさか従業員が労働時間であると主張するなどとは想像もせず性善説で勤怠管理をしていた企業が、メール履歴や在社データを基に想定外の未払い賃金請求を受ける事例が多くみられます。

このように、未払い賃金請求は労働時間であったかのような客観的証拠を揃えることができれば、それなりの可能性で勝訴することができるため、よほど厳格に労働時間管理をされているのでもない限り、従業員としてもチャレンジしてみようという気になるのです。

更に、未払い残業代請求の広告が増えたもう一つの理由としては、未払い残業代請求訴訟の準備をする際、ある程度作業のルーティン化が可能であるため、多数のパラリーガルによって過払い金訴訟に対応していた法律事務所にとって体制変更しやすいという点が挙げられます。

以上の理由から、今後も多くの未払い残業代請求に関する広告宣伝がなされ、多くの企業が対応を迫られることが予想されます。

そして、未払い残業代請求に関するもう一つの問題点として、他の従業員に波及する可能性があります。
すなわち、通常、同じ事業主の元で就業している従業員の中で、ある者だけは勤怠管理が厳格になされていて、他の者は不十分であるといった事態は考えづらく、通常は勤怠管理の在り方、更には残業を含めた就業環境は似通ったものとなる場合が多いです。

そうすると、ある従業員に未払い残業代が存在する場合には、従業員の数だけ近い金額の未払い残業代が存在するリスクがあるといえます。
未払い残業代請求1件あたりの金銭リスクとしては、200万円~500万円程度が相場かと思われますが、これが複数の従業員によって提起されるとなると、企業の存続にも関わるような多額の金銭リスクとなり得ます。
実際、億単位の未払い残業代を支払うという企業に関する報道も散見されるところです。

殊に、労災訴訟や不当解雇訴訟と異なり、未払い残業代請求については保険でリスクヘッジすることができません(損害保険会社が販売している雇用関係保険は、賃金の未払いについては補償の対象外としています)。
そのため、未払い残業代請求は企業の金銭リスクとして顕在化した場合には、看過できない企業リスクとなる可能性を秘めているといえます。

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